第2話 誰にも言えない |
『……ああそうだ、こうしよう。お前にもヒミツを作ってやればいい』 そう言って彼は、その証を私の身体に刻み込んだ。もう二度と消えない、忘れることもない、絶対的な『唯』という存在を。 ◆ 「なぁなぁ唯、今日お前放課後空いてんの?」 「放課後? あー、悪ぃ。今日委員会」 「んだよまたかよー。お前と行きたいトコあんのにさー」 「ごめん、また明日な」 教室へ入ると、まっさきに耳に入ったのは男子の話し声だった。その中心には当然のように唯君がいて、女子も交えて彼は楽しそうにおしゃべりをしている。会話に耳を傾けながらも自分の席についた私は、みんなに笑顔を向けている唯君を見てキュッと唇を噛みしめた。 昨日私が見た怖い彼と、今教室で楽しくおしゃべりをしている彼との違いに嫌悪感が走る。 『大人しくしてろ、そしたらすぐに終わらせてやる』 昨日私が見た唯君は、もっともっと怖い雰囲気を纏った、凍り付くような微笑みをする人だった。そして平然と、他人を傷つけるような最低な人だった。 「ねぇ唯っ、今日の数学の時間私綾乃ちゃんに当てられるのーっ! ここの問題教えてッ」 「んだよつばさ、自分でやれよなそんぐらいー」 「うっさい! 羽野に訊いてないっつの! ねぇ唯お願いっ」 怪訝な顔をしている羽野君とは違い、唯君は嫌な顔一つ見せずにニッコリと微笑むと「いいよ」と言っていた。彼は私の視線に全然気づいてないようで、呑気に話を続けている。それが余計に腹立たしかったけれど、今は唯君との接触を極力避けたかった私は気に留めないようにして椅子に座っていた。 「藤森」 突然背後から誰かに呼ばれて、心臓が止まりそうなくらいにドキッとした。大きく脈打つ胸を押さえながらゆっくりと振り返ると、そこにいたのは北川君だった。昨日体育倉庫で唯君から暴力を振るわれていた人である。 北川君は唯君といつも一緒にいて、クラスでも一番目立っているであろうグループの一員であった。北川君自体はそこまで目立っている方ではないのだが、背が高くて、顔も結構かっこいいためクラスの女の子の間では評判が良かった気がする。それに、女の子が好きそうな優しい口調と声をしているのだ。実際話したことはないから性格までは知らないが、傍から見ている限りではとても穏やかな雰囲気の人に見える。 「あ……北川君……」 呼んだのが北川君だと気づいた私は、ホッと安堵の息を漏らす。普通に聞けば声だけで北川君だと分かったはずなのに、唯君に呼ばれたような気がして一瞬ゾクッとしたのだ。 笑えるような気分じゃなかったけれど、私は彼に向かって無理矢理笑みを作った。ちゃんと笑えているのかどうか自分でも危うい。 「あのさ藤森」 北川君はなんだか言いにくそうにコソッと小声で私に言った。誰にも聞こえないように、本当に小さな声で。 「あの、さ……昨日、大丈夫だったか?」 「え……?」 「唯に、何もされなかった?」 「唯」というその名前を聞いただけで、体中に悪寒が走った。そして鮮明に昨日の出来事が私の頭の中によみがえる。私の周りの空気が一瞬にして冷えたような、そんな嫌な感じがした。 「う、ううん大丈夫。何もされてないよ? やだ……北川君ってば変なの……」 内心気持ちが悪いくらいだったのをなんとか堪えてそう言うと、北川君は安心したように胸をなでおろす。 「あー良かった……。まさか藤森にまで暴力ふるったんじゃないかと思って心配だったんだ。藤森は女の子だから。……でもほんとによかった、唯もそこまでするやつじゃないよな」 彼は私のことを心配してくれているようだった。まともに話したことなど一度もないのにと、私は少し目を丸くしてしまう。けれど、心配してくれていることはありがたかったが、それでもどこか彼すらも憎い。私が唯君に襲われたことも知らずに、安心して微笑んでいる彼が。 「北川君心配しすぎだよ、唯君とはただ少し話しただけ。それだけだから」 北川君みたいにお腹を蹴られた方が、どれだけ楽だったんだろう。彼とは比較にならないほどに、私は唯君にめちゃくちゃにされて、ぶち壊されて。どうしようもない恐怖を彼から植え付けられたのだ。 「良かった、それ聞いて安心したわ。ごめんな藤森、急に変なこと訊いて」 「ううん、そんなことないよ。こっちこそ、心配してくれてありがとう」 「おう、そんじゃまたな」 ニコッと愛想よく微笑んで、彼は唯君の元へ戻っていく。その彼の大きな背中を見つめながら、私は嬉しいような悲しいような複雑な気持ちを抑えていた。 ◆ 「今度授業の時ノート集めるから、今日の実験結果のところちゃんとまとめておくように。それじゃあ今日はここまで」 四限目。化学の授業の終わりに先生がみんなに向かってよく通る声で言った。その後みんなは席から立ち上がって、ノートと教科書を持って教室へ戻っていく。 「藤森さん、あなた今日当番になってるから、使った試験管を全部洗って片づけておいてくれるかしら?」 「あ、はい」 流れで思わず返事をしてしまったけど、次の瞬間「え?」と疑問符が浮かぶ。使った試験管を全部、と先生は言っているが、休み時間に一人で洗うにしては多すぎる量だ。確かにもう昼休みだけど、ご飯を食べる時間が無くなってしまいそう、ただでさえ私は人一倍食べるのが遅いのに。 「あの、先生……私一人で、ですか?」 これはいくらなんでも大変すぎるだろうと思い、私は黒板の前にいる先生に歩み寄りおどおどと言うと、先生は少し困った顔をして「うーん」と呻っている。先生もこの試験管の量を見て、私一人では時間がかかるかもしれないと思っているのだろう。この量を片づけるにはもう一人必要である。 「そうねぇ、一人じゃちょっと大変かもしれないわね。じゃあ」 「先生、俺手伝いますよ」 爽やかな、人当たりのよさそうな印象を受ける声。声変わりしているのだろうかと時折不思議に思う、男にしては少し高めである声の持ち主は、私の横へ来るなり先生にそう言った。 それは言うまでもない。私が今最も聞きたくない、関わりたくない人である唯君だ。自らが名乗りでた彼を見て、先生は嬉しそうにニコッと微笑んだ。 「あら、それじゃあ桜川君お願いね。藤森さん、桜川君が手伝ってくれるみたいだから」 「えっ……」 「良かったわね、桜川君片づけ早いわよ?」 そんな、と私は身体が震えそうになるのを堪えた。彼の言葉を聞いた途端、目の前が急に真っ暗になったような気がする。片づけが早いとか早くないとか、そんな問題ではないのだ。彼が嫌でたまらない。唯君が手伝ってくれるくらいなら一人でやった方が全然いい。 チラッと唯君の方を見ると、彼は私を見て愛想良く微笑んだ。それが本当に怖くて、昨日の恐ろしい微笑みと重なって、余計に私を震え上がらせる。 「藤森、俺が手伝うから」 そして極めつけといわんばかりのその台詞に、私は我慢出来なくなった。 「私一人でやりますッ!」 あまりにも大きな声だったから、まだ化学室に残っていた人たちがビックリして私を見た。でも恥ずかしさなんて不思議と出てこなかった、それよりも今は唯君となるべく関わらないようにしたかった。 まさかここまで大声で嫌がられるとは思ってなかったらしい、先生もビックリして目を張っている。 「そ、そう? せっかく桜川君が手伝ってくれるって言ってるのに……?」 「大丈夫です、一人でやります! さ、桜川君、手伝ってくれなくていいから……っ」 きっぱりと言う私に先生も「そう?」と納得したようで、片づけを私に任せると化学室を出て行ってしまった。早くしなくては昼休みが終わってしまうと、私もすぐに洗い場の方へ行って試験管を洗うことにする。 唯君はといえば、化学室に残っていた男子に囲まれて、からかうように笑われていた。 「おい唯ーお前藤森に嫌われてんじゃねぇ?」 「めっちゃ拒否されてやんの」 「まぁ元気だせよ。つーかなんだよ今の態度、せっかく手伝ってやるっつってんのに可愛くねぇ女」 彼の周りの男子はどっと笑って、その中心にいた唯君も「俺超嫌われてやんの」なんて言って苦笑していた。その時彼がどんな心中だったのか、今の私には余裕が無くてそんなことを考える暇すら無かった。 ◆ 誰もいなくなった化学室で、試験管を洗うカチャカチャという無機質な音だけが虚しく響いている。蛇口から出る水は冷たくて、肌に痛みさえ感じた。 「お前、なんでさっきあんなこと言った」 誰もいないと思っていた化学室から突然声が、しかも背後から上がるものだからほんとに驚いた。その声の主も分かっていたから尚更のこと。声があがった拍子に手に持っていた試験官が落ちて、カシャンと小さな音を立てて割れた。 「ゆ、唯君……」 私が怯えたような目で彼を見て、弱々しい声で名前を呼ぶと、唯君はクスッと微笑む。その微笑みがまた何を考えているのか分からなくて怖い。 「……やだッ」 自然と、口から拒絶の言葉が漏れた。なんでここに唯君がいるんだろう、さっき断ったはずなのに。唯君と関わりたくなかったから断ったのに、どうしてこんなことになっているんだろう。 ドアのところで立っていた唯君は、バタンとドアを閉めると、ツカツカと私の方へ近づいてくる。 「やっ、いや、こっちに来ないで!」 今の自分にとって明らかに恐怖の対象である彼が、こちらへ向かってくる。私は声で拒否しながらも後じさりして、無意識に手と足をガタガタ震わせていた。それは口から出る声さえも同じことだった。 「やだ……」 心臓がバクバクいって激しく鼓動を打つ。こっちへやって来る唯君が怖くて、冷や汗までかいていた。それくらいに私の身体と心は頑なに彼を拒むのだ。昨日のあの悪夢のような時以来。 唯君はなにが面白いのか、相変わらず冷酷な笑みを浮かべている。 「せっかく手伝ってやるっつったのに断ってくれちゃって」 「……だって!」 私の言葉など到底彼が聞き入れるわけもなく、壁に追いやられて、彼の手が私の腕をガッと強く掴んだ。それがものすごく強い力で痛くて、私は少し顔を歪めてしまう。 「やっ!」 「みんなの前であからさまな態度とらないでくれる? 腹立つから」 「っあ、ご、ごめん」 そこまで言った時に、パシッと頬を叩かれて僅かだが痛みが走る。どうして今自分が叩かれたのか、意味が分からなくて呆然としてしまった。 「『ごめん』じゃなくて『ごめんなさい』だろ、お前何様なわけ」 私を襲った時と同じ、心底イライラしてるような顔をして見下している彼。それを見ていたら昨日の出来事が映像のように鮮明によみがえって、その恐怖感に私はその場に腰を抜かして座り込んでしまった。 「ご、ごめ……ごめん、なさい……」 どうして私は、こんな人の言いなりになってしまっているんだろう。心と体はまるで別物のように、心で思っていることとは逆に口は素直に彼の言うことを聞いてしまう。 「ったく、お前見てるとイライラしてくる……。昨日のこと、誰にも言ってないだろうな」 「!」 唯君は相変わらずの顔つきと口調で、昨日の出来事の事を確認してくる。自分が何をしたか分かってそんな無神経なことを訊いてきているのだろうか。善悪の区別さえ付かないというのか。 あんなこと誰に言えるというのだろう。あの後痛みを我慢してなんとか身体を起こして、服を整えて、さらに保健室へいって、休んで。何事も無かったかのように家へ帰って。友達にだって家族にだって、誰にもバレないように平然を装っていたのに。あんなこと、誰にも言えるわけがないのに。 「……言えるわけないよ……」 絞り出したようなかすれた声で告げた。それを聞いた唯君は愉快そうにクスクスと笑って、制服のポケットから携帯を取り出す。 「だよなぁ。こんなの撮られてて言えるわけないか」 彼の言ったことがよく分からなかった私は、唯君の手元にある携帯へ視線を移した。一体なんだというのだろう。 「ほら、記念写真。他にも何枚か撮ったけど、これが一番綺麗に撮れてる」 そう言いながらこちらに見えるように携帯の画面を向けてくる、それを見た瞬間私は思わず吐き気を覚えた。 綺麗だと言って見せてくれた一枚の画像。それに写っていたのは間違いなく私だった。力なく床に倒れて、人に見られたくない秘部をさらけ出して、昨日唯君に襲われたあられもない私の姿だった。そしてそれを見て、なにかが私のなかで弾けたのだ。 「ま、そういうわけだから。あんま偉そうな態度とらないように」 「……」 「藤森、返事は?」 「……い、……ひどいッ!!」 手の平がビリッと痺れ、それと同時にパンッと乾いた音。私が思いっきり唯君を引っぱたいた音だった。 彼の本性を知る前の私なら、絶対彼を叩いたりなんかしなかった。彼はいい人で、叩く理由なんてどこにも無かった。でも今の唯君は大嫌いだ。人として最低だと、変態だと思った。 「っつ……、なんだ、まだ刃向かうだけの余裕はあるんだ……、生意気」 唯君が顔を痛みに顔を歪ませたのはほんの一瞬だった。そしてすぐに笑んでそう口にすると、私が叩いたのと同じくらい唯君も私を引っぱたいて、その衝撃で私は床に倒れてしまった。彼に叩かれた頬が、自分の手のひらと同じくらいヒリヒリと痛む。でもそれと同じくらいに、私の心は痛みに悲鳴をあげていたのだ。 「ひどい……」 「はぁ?」 「酷いよ、唯君最低だよ……!」 涙が溢れ、頬を滑って床にしたたり落ちる。人前でこんなに泣いたのは初めてのことだった。人を本気で叩いたことも、怒鳴ったことも今まで無かった。なにもかもが初めてのことだった。 「私、唯君はこんなこと絶対しないって思ってたのに……、唯君は、誰にでも優しくて、みんなからも信頼されててっ……すごくすごく、……いい人で……」 『いーって。俺と北川もまだやることがあるから、ついで』 『でも、なんか悪い気がする……』 『人の好意は受けるもんだよ、いいからいいから』 誰よりも温かな微笑みを見せて、優しい言葉をかけてくれる私の憧れの人。昨日までは確かにそこにいた、あの優しかった彼はどこへ行ってしまったのだろう。今ここにいる人はまるで別人だ、これが唯君なのだと、認めたくなかった。 「唯君じゃない。こんなの、私が憧れてた唯君のすることじゃないッ!」 「それで?」 化学室の床に座り込んで、涙を零しながら訴えた私に対して、まるで他人事のように彼がそう呟いた。そうして私の目の前にしゃがみ込むと、ニコッと無邪気な微笑みを浮かべる。 「もっと言ってよ、藤森には俺がどう見えてたのか。優しくて、信頼されてて、良い人で?」 「……唯君」 「そういうの聞いてると笑いたくなってくるよ。そんなヤツ最初からどこにもいないのに」 全く相手にしていないような彼の態度に、カァッと頭に血が上った。私の反応を見て心底楽しそうに笑う唯君を見て、初めて人を見て「人間じゃない」と思った。こんなこと、普通なら人に対して思ったりすることじゃないのに、今の彼を見ていたら自然とそう思えた。 「脱げよ」 それは突拍子のない命令だった。唯君は私の顎を掴んで無理矢理顔を上げさせる。 「な……っ、そんなの……!」 「脱げっつってんの、今ここで。せっかく忠告だけで終わろうと思ってたのに、お前全然分かってないみたいだからもう一回教えてやるよ」 強い意志を持つような彼の双眸が、私をまっすぐに見つめて逸らせない。 「お前の立場をよく理解させてやる」 ◆ 準備室とはいえどいつ人が来るか知れない場所で、私は着ていた制服を全部脱いだ。でもこれは自分の意志ではなく彼の意志だ。脱がされたといった方が正しいのかもしれない。 私が恥ずかしそうにしているのを、唯君は至極満足そうに見て微笑んでいる。 「そのままそこに座って、俺に向かって足開いて、自分でやれ」 「……そんなの……いやだよ……」 「自分でやったことないわけないだろ、いいからさっさとオナれっつってんの」 言うことをきかない私に腹を立てた唯君は、こちらへ近づくなり露わになっていた私の胸の乳首を痛いくらいにつねった。ビリッと電気が走ったような痛みに私はビクリと身体を揺らす。 「痛ッ! やぁ……」 「お前の馬鹿さ加減に腹が立ってくる。早くしろ」 ドンッと身体を押されて私は壁に背中を打ち付けた。ひんやりとした壁の冷たさが直に肌に伝わって、鳥肌が立つ。そのまま壁を背にゆっくりと座り込んだ私は、恐る恐る足を唯君に向けて開き、自らの手を秘唇にあてがった。その手は小刻みなんてもんじゃない、激しくがたがたと震えている。 「マヌケな格好。ほら、さっさと手動かしたら?」 言われるがままに、私はゆっくりと手を秘唇へ差し入れて、のろのろとした動きで掻き回す。だが、昨日唯君に挿れられた時に切れたナカの傷を指がかすめて、私は思わず顔を歪めてしまった。 「っ! あぅ……ッ」 「なんだよ、俺の言ったことが聞こえなかった?」 鋭く、狂気に満ちているような瞳が私を見つめている。それを見るとゾッとして、私は痛みを我慢して自分で自分を嬲った。 「はぁあ……ぁあ……っ」 「そうそう、やればできんじゃん」 まさかこんなことを人に見られながらやるなんて信じられなかった。まるで悪夢だ。こんなこと早く終わればいいと思いながら私はひたすらに手を動かしていく。自分が快感を得るためにやるのではない、彼を満足させればいいのだ。 「んっ、あぁ……ッ……ん」 「もっと激しくやってもいいよ」 「やってもいいよ」じゃない、その言葉の真意は「やれ」という命令が込められているのを、私は無意識に感じていた。そして、私はただそれに従うしかない。逆らえば、もっと痛い目に遭うということを身体が知っていたからだろう。 必死で指を抜き差しして、クリトリスを擦って、それに比例するように次第に息づかいが荒くなっていく。 「あっあっ……ふあぁあ……っ……あんん」 唯君に見られているからだろうか、行為に快感を見出している自分がいた。身体は熱く火照って、もっともっと気持ちよくなろうと指の動きを激しくしていく。 「なんだよ上手いじゃん。お前見かけによらず変態なんだな」 ぼうっとしながら自慰行為を続ける私の顎を掴んでぐいっと持ち上げて、そんな私を見て唯君が笑っていた。変態と言われて、否定したいのに身体に力が入らず異様な熱を持っている。目の前にいる彼の姿が、ぼうっとダブって見えた。 「あ、あぅ……」 「よしよし、もっと気持ちよくしてやろうか?」 自分で与えた快楽に惚けていると、唯君が前に座り込むなりそのまま私を押し倒した。固い床の感触が直に背中に伝わってきて、僅かだが痛い。 「唯、君……?」 「気持ちよくしてやるだけだ」 そう言った彼が、私の秘唇に指を挿れた。一瞬昨日の出来事がよみがえってゾクッとしたけれど、彼は昨日のように乱暴にはしなかった。指を回転させながら出し入れをして、クリトリスをつねる。 「ああっ! はっ、あぁんッ、ゆ、唯くっ、ふあっ」 「気持ちいいだろ」 「いやっ、やああっ……あっはぁあ!」 こんな、こんな大嫌いな人に指で犯されて、それなのに私は感じてしまっている。浅ましい自分の身体が憎らしくて、気持ちいいと思ってしまう自分を嫌悪する。唯君が指で掻き回すたびにクチュクチュとやらしい水音がして、私はそれに合わせてみっともなく声を上げてしまっていた。これで嫌だなんて、よく言えたものである。 「んっ、あぁっ、いやっ、あ、私……っおかしくなる! ゆいく……、ゆいくん……っ!」 「イキそうなら勝手にイケばいいよ、ほらっ」 グチャッと激しくナカをいじって、私を絶頂へと追い込む彼の指。情けないことに私は感じ過ぎていて、自分でも自覚が無いほどにひたすらに腰をふってよがっていた。 「んあっ、やっ、あぁあああ!」 私の中でなにかがはじけたような感じがして、視界が一瞬真っ白になった。そしてグチャグチャに荒らされた秘所からは何かがドロッと出てきて、唯君が指を抜く。 「こんなところでよくイケるよな。大人しそうな顔してすっげ変態」 「はぁっ、はぁっ、はぁ……っちが、う……」 力無くぐったりと横たわっていた私の口元に、唯君は自分の手をもってくる。その意図が分からない私は、その彼の手をジッと見つめていた。今度は一体何をさせるつもりなんだろう。 唯君のその手は、私の唇をトントンと軽くノックする。 「ほら、お前のでベトベトになっちゃっただろ、舐めろよ」 「……っ!」 「早くしろ。それとも俺が無理矢理口こじ開けてやんないといけないの?」 世話がやける、とでも言うように苛立っている彼を前に、私はゆっくりと口を開いて彼の指を招き入れ、そして舌を這わせた。 「んっ……」 他人の指を口に含んで、舌を絡ませてなめ回す。こんなことを今まで経験したことがなかった私にとっては、こんなとんでもないことをすんなりと受け入れてしまう自分自身が信じられなかった。いくら昨日の出来事を写真で撮られたからってあり得ない、と。 「ぅん……ッ、ん、ん」 私、なにやってるんだろう。唯君とはもう関わりたくないと思ってたのに、昨日あんなに思い知ったことだったのに。 「……んぁ……」 飴を舐めている時のような音が小さく聞こえて、羞恥心で顔が熱くなっていく。唯君はしばらく私を楽しそうに眺めて、その後「もういい」とでも言うように私の口腔から指を抜いた。 「今日はこれくらいにしといてやるよ」 「……『今日は』って……私、もうこんなこと」 したくないと、言うことを彼は許さなかった。容赦がないくらいに強く音を立てて、頬を叩かれた。 「いっ……!」 「言うことが違うだろ、お前自分の立場わかってんの? お前は俺の言うことを聞くしかないんだよ」 絶望的な言葉に、私は床についた己の手をギュッと握り締めた。こんな歪んだことが、おかしいことが、不条理なことが、あっていいのかと。 「……唯君……どうして……?」 彼に聞こえているのかどうか怪しいくらいの、掠れた小さな声しか自分は出せなかった。あと少しでも声を出せば、自分は大声で泣き出してしまいそうだったから。 「お前に俺を拒む権利なんて無い。ただ馬鹿みたいに従ってればいーんだよ。分かったら返事しろ」 そして当然のように、私の言葉など彼には届いていなくて。 「藤森」 彼の本性を知ってしまった私は、そんなにも罪深いのだろうか。こんなことをされてもなお、抗うことすら許されず彼に従わなければいけないというのか。 「……はい」 僅かに小さく返事をすると、それでも彼にとっては良かったらしく、軽く私の頭を撫でてくる。その行動は、まるで犬を慣らす飼い主のようだ。 「今日は楽しませてもらったから、化学室の後片づけ俺がしといてやる。お前は制服着てさっさと教室戻んな」 それだけ言い残すと唯君は準備室を出て行き、取り残された私は俯いたまま。しばらくして嗚咽を漏らして、三度目の涙を流した。怒りと、憎しみと、悔しさと、悲しさ、そんな負の感情だけがこもった涙を。 ◆ 「ただいま」 放課後、いつもより長くかかってしまった委員会の仕事を終えて家へ帰った俺は、玄関で靴を脱ぎながら誰に言うでもなくそう口にした。自分の視界に広がる、明かりのない、誰もいないということを彷彿とさせるような薄暗い家を前に。 「おかえり」という返事がないのはもう当たり前のことで、自分自身もそれに慣れていた。けど、それでも言うのはいつか「あの人」がいつものように微笑んで迎えてくれることを、心のどこかで期待していたからなのかもしれないけれど。 だが、靴を脱いでリビングへ向かった俺は、そこに思いがけない人物がいて心底驚いた。リビングのソファに、父である義人が待ちこがれたようにゆったりと腰掛けていたのだ。それを見た瞬間、体中が固まったように動かなくなった。 「おかえり、唯」 ないはずの返事は、そこにあった。けれどそれは自分が望んでいたものではない。そもそもなんでこの人が今ここにいるのだ。いつもならまだ仕事のはずなのにこんな時間、夕方に家にいるなんておかしいと、焦った。 「……仕事は……?」 気付けば冷や汗を掻いていた。バクバクと胸が鼓動を刻んで、気分が悪くなってくる。あからさまに動揺していることが分かるような小さな声で尋ねると、その人は嬉しそうに微笑んでくる。 それは自分にとって、壊れたような笑みにしか見えなかった。 「ああ、お前に会いたくて会いたくて、早めに切り上げてきたんだ」 優しいまでのその口調に、心底うんざりした。俺に会いたくて早めに仕事を終わらせてきたなんて、ありがたいとも嬉しいとも思えなかった。むしろいない時の方が自分は安心出来るというのに。 「……切り上げてって……なんでそんな」 「唯、こっちへ来なさい」 「!」 恐ろしいほど、自分の中でその声はおぞましく響いた。 なんてことない一言だが、俺の大嫌いな言葉。出来ればこの先ずっと、聞きたくないと拒み続けたもの。受け入れることしか出来ないけど、受け入れたくないと心は頑なに拒み続けていた。容認すれば、自分はどんどん流されていってしまうから。 それを受け入れずに、リビングに一歩足を踏み入れた状態で立ち止まっていた俺へ、そのうち向こうの方からこちらへ歩み寄ってきた。 「唯……」 いやだ、こっちへ来ないで欲しい。けれど止まらない足。踏み込んでくる足音の一つ一つが不気味に聞こえ、出来ることならこの場から逃げ出してしまいたい衝動に刈られてしまう。だけど、身体は動かない。 その場から動けずに立ち竦んでいることしか出来なかった俺を、その人は自身の腕の中へ優しく包むように抱擁をする。 そしてそれを合図に、ずるりと鞄が肩を滑って床に落ちた。 「唯。……あぁ、お前は本当に由梨にそっくりだ」 結局こうなってしまうのだと、半ば諦めて瞳を閉じた。耳元で、またこの人はいつもの科白を言っている。数年前に亡くなった母の名前を呼んで、陶酔したように囁いてくる。身体を抱きしめていた腕は、大切なものを包むような優しさから一変して、決して離すまいという力のこもった強いものへと変わる。逃げることなど出来はしない。 心に積もっていくのは目の前の人に対する嫌悪感だけだった。気持ち悪い、出来ればこのまま何もしないで欲しい。強く心の中でそう願うしかないのだ。何度願っても叶うことのなかった「願い」を。 「私にはもうお前しかいないんだよ、唯。分かってくれ、由梨のようにお前まで失いたくない。お前は父さんの宝物だ」 お母さんが亡くなってから全ては崩れ始めた。幸せだった日々も、大切だった思い出も、大事な人たちも、なにもかもが脆く崩れ落ちた。 もう瞳に映るもの全て、そのなにもかもが自分には歪んで見えたんだ。 「さぁ唯、脱ぎなさい」 不条理なことしか、この世にはない。 こんなこと、誰にも言えない。絶対に。 |