第7話 こんなにも君を想ってる


「あれ? 藤森?」
 ガラッと教室のドアが急に開くものだから、ビクッと身体が揺れて私は反射的に顔をあげた。驚いた視線を向けた先にいたのは唯君で、彼は不思議そうに首を傾げて私を見つめている。
「なんで残ってんの?」
 更に尋ねてきた唯君を見てすぐさま、これが夢であることを自覚する。だって、前にこんなことがあったもの。それに今の彼なら、もうこんな風に話しかけてくれたり、接してくれたりはしないから。
「……あ、唯君」
「どうした? なんかあった?」
 2時間ほど前にHRを終えて、みんな部活に行ったり、帰宅したりで、教室には私一人だけだった。
 唯君は手にプリントとかファイルを沢山持っていて、きっと今まで委員会の仕事だったのだろう。彼は本当に忙しい人だ。私の方はといえば……。
「それが……、国語と数学の課題やるの忘れてて、居残り」
「ああ、今日提出日だったもんな」
 情けない理由で居残りしている私を彼は少し苦笑して、手に持っていたプリントとファイルを自分の机に置いた。唯君ももう帰るところなのだろう、私はまだまだ課題が終わりそうにない。当分はこの教室で居残りである。
 けれど、唯君は帰る支度もせず、こちらへ歩み寄ってきたかと思えば私の前の席に腰掛けて、腕につけていた時計を見た。
「もう18時か。──貸して」
「え?」
 こちらに向かって差し出された彼の手を見て、私は目を丸くする。一体彼は何をするつもりなんだろう。
「えっ? なに?」
「数学の方、手伝うよ。忠夫はまだしも綾乃先生はうるさいからなぁ」
 私から数学のプリントを取り上げた唯君は、更に私のペンケースの中からシャーペンを取りだして、一言「ちょっと借りるね」と言うと熱心にプリントをやりだした。まさか手伝ってくれるなんて予想だにしていなかった私は唖然と彼の手先を見つめる。
 迷うことなく、スラスラと紙面に綴られていく筆跡に私はついつい見入ってしまっていた。唯君は頭がいいから、私みたいにこんなプリントで時間などとらないのだろうけど、とにかく解くのが早い。
「唯君ありがとう……! っていうか、解くの早いね」
「だって俺昨日家でやったから」
「それにしたって早いよ」
 唯君が熱心に手伝ってくれているから、私もそれだけ言って残りの国語のプリントに視線を戻した。そうしてしばらく二人とも無言でやっていたけど、ふいに唯君が口を開く。
「それにしても、藤森って頭良いのに時々妙に抜けてるよな」
「だ、だって……昨日テレビ見てたら眠くなって……寝ちゃったんだもん……」
「そういうところが藤森らしいっていうか、俺は好きだけどね」
 そう言いながら唯君は少し笑っていた。本人は知らないだろうが、唯君は笑った顔が可愛いとクラスの女の子が時々話しているのを私は知っていた。言うと本人は怒りそうだから言わないけれど、かっこいいというよりも可愛いという言葉の方が彼には当てはまる。
 そんな彼の微笑みを見て、私もついつられて笑っていた。こんな風に二人っきりで教室で過ごせるなんて、課題を忘れてきてよかったと少しだけ思った。
 当時から人気者だった唯君は、私にとって憧れの存在だった。友達にも言ったことはないけど本当に尊敬していた。私が羨ましいと思うものをなんでも持っているのに、嫌味だという感じが全くしない。だからこそ、純粋に憧れていたのだ。
 そのせいか彼といるとなんだかドキドキして、つい緊張してしまう自分がいた。でも、それが嫌とは全然感じなかった。



「ん……」
 目を覚ますとそこはベッドの上だった。けれど、部屋の雰囲気やベッドの感触で自分の部屋ではないことにすぐ気が付く。
 ここはどこだろうと鉛のように重い身体を起こして確認しようとすると、下半身に僅かな痛みが走った。痛みと共に顔を歪め、身体を少し捻ると、横にはなぜだか唯君の姿がある。彼は、小さく寝息を立てて子供のように眠っていた。それを見てようやく、私はここが唯君の家であったことを思いだした。そして、なぜここに自分がいるのかということも全て。
『俺と同じように、……同じ目に……遭わせてやろうと思ったからだ』
 横にいる唯君の寝顔をぼんやりと見つめながら、彼の言葉の意味を考えていた。
 唯君の言うことは、いつも肝心なところが抜けているような気がする。だから私はいつも悩んで、それでも分からないから余計に彼を意識してしまうのだ。
「……唯君……」
 傍にある寝顔は本当に普通で、可愛らしさを感じるものだった。私は唯君が起きないように静かにベッドから下りて制服を整える。そしてあまりしっかり見たことのなかった彼の部屋を見回した。
 机、ベッド、テレビ、ゲームを好んでするのだろうソフトが沢山ある。そしてコンポ、本棚はあるけどそこまで本は収納されていないし、漫画はほんの少ししか置かれていない。そしてクローゼット。割と普通の男の子の部屋だと思った。ただし、全てが綺麗なまでに整頓されているということを覗いては。
 部屋を見ていると暗さが気になって、閉ざされていたカーテンを開けて外に目をやるともうすっかり暗くなっていた。すぐに唯君の部屋の時計を見ると21時を指している。前もってお母さんに「友達の家で遊んでいくから遅くなる」とメールを入れておいてよかったと心底安心した。
 そうして再び部屋へ視線を戻した私は、机に置かれていたフォトスタンドの存在に気が付いた。ここからでは暗くて写真はよく見えない。歩み寄り、そっと手にとってそれを見つめると映っていたのは唯君と、あとの人たちは雰囲気や容姿から察するにたぶん唯君の両親だ。
 幸せそうに微笑んでいる3人の写真。唯君の着ているのが学ランというところと、彼が手に持っている卒業証書の入った筒、そして後ろで桜が咲いているところからして、恐らく中学の卒業式の時に撮った写真だろう。
 約3年前の写真だというのに、彼の容姿や身長は今とほとんど変わっていないような気がする。もっと外面的に多少の変化があってもいいはずなのに、おかしいくらいに彼は中学3年の頃と外見が変わっていない。
 けど、違和感を覚えはしたがこの時はそんなことなど気にもせずに、写真をまじまじと眺めながら唯君って母親似なんだなぁ、と思い一人で和んでいた。母親が唯君に似ていて優しそうな人だった。父親の方は背が高くて全体的にすらっとしている。こちらは顔立ちが唯君にあまり似ていなくて、かっこいいと素直に思える容姿をしている。優しそうに微笑んでいるその顔のとおり、性格も穏やかで優しそうな人に思えた。
 なんの変哲もない、家族3人の写真。とても幸せそうな家庭。でも、こんなに幸せそうなのになぜ──。
「なに見てんだよ」
 いきなり背後から声がするものだから驚いて振り返ると、いつの間に起きたのか唯君がベッドから身体を起こしてこちらを睨んでいた。
「! ごめんなさいっ、つい……」
 慌てて手に持っていたフォトスタンドを机に戻すと、唯君がこちらへ来てフォトスタンドをゴミ箱に捨てる。まるでいらないものを捨てるように、なんの躊躇もなしに。
 机の上に飾っているということは、それなりに思い出の詰まった大切な写真だったからなんじゃなかったのだろうか。それをゴミ箱に捨てたことも驚いたが、それよりも彼が私を睨んでくることに焦って私は緊張していた。
 しんと静まった室内にでさえ、次第に居づらさを覚える。
「……あっ、えっと……、そ、そういえば唯君の家ってお父さんとお母さん共働きなの?」
 別に今訊かなくても良いようなことだったけど、焦りからだろうか私は気付けばそんなことを口走っていた。でも、その疑問自体私が前から気になっていたことでもあったが。
「こ、この間行った時佐上さんっていう家政婦の人がいたから……」
「どーでもいいだろそんなこと。つか、ウチが家政婦雇おうがお前には関係ないし」
 確かに、私には関係ないことだ。そう言われればお終いのような気がして、私はそれ以上追求することが出来なかった。彼から冷たく返されて私は言葉を無くして黙り込む。そうしてしばらくお互い無言だった中、再度私は口を開く。なんでこんなに焦って、必死になっているのか自分でも分からない。
「あ、……あのさ」
 懲りず再びそう言った私に、「まだなんかあんの」とでも言うように唯君が鋭い視線を私に当てる。部屋に明かりが灯っていないせいもあってか、暗い部屋の中で唯君の表情はどこか威圧感を感じた。
「……写真見たんだけど、唯君ってお母さん似なんだね! お母さん綺麗でビックリし」
「黙れ!!」
 突然怒鳴られ、ドンッと強く突き飛ばされて私は冷たい床に倒れた。ひやっとしたフローリングの質感と、ほんのわずかだが倒れた衝撃で得た痛みに顔をしかめる。
「っ!?」
 けどそれよりも驚いた。どうしてそんなにも唯君が怒ったのか分からなかったからだ。ただお母さんのことを言っただけだったのに。自分は男だから、母親似と言われるのが嫌だったというのか。怒られた理由を考えたが思いついたのはそれだけだった。
 わけがわからなくて唖然としていた私に、唯君は一言「帰れ」とだけ冷たく言い放った。
 彼から言われたとおり家へ帰ろうと玄関で靴を履いていたら、制服から着替えた唯君が二階から降りてきた。
 まだなにか私に言うことがあるのだろうかと彼が何か言うのを待っていると、唯君は自分も靴に履き替えて家を出るような様子を見せる。このままどこかへ出かけるつもりなのかもしれない。
「唯君?」
「暗いから、家まで送ってく」
 今度は何を言われるんだろうとドキドキしていた私にとって、唯君の言葉は十分意表を突くものだった。
 送っていくって、一体どうしたんだろう。なんだかそういうのは今の唯君らしくないような気がする。いつも酷いことばかり言ってくるのに、どうして時折そんな気遣いをしてくるんだろう。中途半端すぎるよ。
「えっ……? ううん、いいよ私ちゃんと帰れるからっ」
「いいから早く出ろ」
 そう言われてはこれ以上何も言い返すことが出来ず、私は彼の言葉に従い家を出て、すっかり暗くなった夜の道を唯君と二人で歩いた。
 もちろん、その間も唯君は無言で、自分からは何も話そうとはしない。
「……ねぇ、唯君……さっきのことなんだけど……」
 何も言ってこない唯君に対して、私は更に彼に尋ねた。彼は私に訊きたいことや知りたいことが無くても、私は彼に対して訊きたいことや知りたいことが沢山ある。
 それに、もっと彼と話をしたい。以前彼が私に話しかけてきてくれた時のように、今の彼をもっと知りたい。
「自分と同じ目に遭わせようと思ったから私を抱いたって、どういうこと……?」
「どうでもいいよそんなこと」
「よくないよ、全然よくない……私は」
 どうでもいいことなら、あの時言う必要はなかったはず。あんな辛そうな顔をして、涙を零しながら言ったのだ、どうでもいいわけがない。きっと彼にとって重要なことであったに違いないのに。
 なぜ彼はあの時あんなことを言ったのか、その真意が知りたかった。
「私はね」
「じゃあ俺も言わせてもらうけど、お前、なんで俺のこと好きとか言ったの」
「え……」
『私、きっと……唯君のこと、好き……なんだと思う、から……』
 あの時言ってしまった彼への告白。
 唯君のことを今まで憧れの対象として見ていた、友達として好きだとも思っていた。けど、彼のことが本気で好きで、恋人になりたいとかずっと一緒にいたいとか、異性として好きだと思ったことは一度もなかった。それなのに、あんなことを言ってしまった。
「あれは……」
「『何か隠してる』、『辛そう』って、お前が勝手にそう思いこんでるだけだろ。そんな一方的な考えを俺に押しつけるな、何度も言ったけど迷惑だ」
 強い口調でそう言ってはくるものの、私は彼の言葉を心から信じることなど到底出来なかった。私が彼に言ったこと、それは本当に私一人が勝手に想像してるだけのものじゃないはず。そう私が確信を持ってしまうくらいのことを、彼はしてきたから。
「……嘘だ、唯君嘘ついてる……」
「は? いい加減くどいよお前」
「……っじゃあ泣かないで」
 それを聞いた彼から、言葉が返ってくることは無かった。
『俺はお前なんか大嫌いだ』
 そう言った時、泣いてたくせに。抱いている時私の名前を呼んで、優しくキスをしてくれた。行為そのものは荒々しかったけど、たまに触れてくる手がとても優しかった。
 私の中で、なにかが込み上げてくる。
「なんともないのなら、あんな風に悲しそうにしないで!」
 暗い夜の道の中で、私は思いきり声を張り上げていた。こんな大声など今まで出したことが無かったから、自分の声じゃないような気がしてくる。今までのものが爆発したように、唯君に向かって怒鳴るとキッと彼を睨んだ。その瞳から、自然と涙が零れていた。彼のことを理解出来ない自分が悔しい。そして、何も話してはくれないくせに、時折本音を零してくる彼に対するどうしようもない苛立ち。
 本来なら、本音を零すという行動は相手に話を聞いてほしいという心理からくる。それなのにどうして話を聞こうとしたら否定するのか。彼の気持ちが全く理解出来なかった。
「悲しかったから泣いたんだよね? 前に私にキスした時だって、辛かったから、耐えられなかったから……だから私を抱きしめたんじゃなかったの……?」
 それともそれすらも私の考えすぎだと彼は言うのだろうか。お願いだから応えて欲しい。話ならいくらでも聞いてあげたいと思うし、唯君が望むなら傍にいてあげたいと思うから。
「それなのに何も無かったみたいに平気な顔しないで……」
 絶対に彼は言い返してくると思ったのに、それは私の検討違いだった。唯君は何も言うことなく怒ることもなく、ジッと私を見つめているだけだった。顔は無表情で、何を考えているのか分からない。
 彼の本当が知りたいと思って今日唯君のところへ行った。馬鹿にされることを覚悟で。それなのに結局自分は何も得てはいなかった。彼の泣いた理由も、隠していることも分からないまま、行動全てが無駄だったような気がした。
 彼を私はしばらく睨んでいたけど、やがて耐えられなくなってその場から走り去ったのだった。
(酷いこと言っちゃった……)
 走って家に帰った私は自分の部屋に飛び込むなり自己嫌悪に陥ってしまった。
 あんなに強く言わなくてよかったのに、言いたいことを好き勝手言って、最低だ。こんな風に後悔するくらいなら最初から何も言わなければ良かったのだが、そう思ったところでそれは後の祭り。絶対唯君を怒らせたということだけは確かで、私はガックリとうなだれた。



「唯君、なんであんな風になっちゃったのかな……」
 澄み切った青空の下、学校の屋上で風に当たっていた私はそれだけ零して一つ溜息をついた。独り言ではなく、傍にいる北川君に言ったつもりだった。彼は隣に座ってジュースを飲んでいる。
「ねぇ北川君」
 聞いているんだろうかと気になって再度声をかけるが、彼からの返事はない。いつもならすぐになにかしら言ってくれるのに、北川君にしては珍しいことだ。
「? 北川君?」
「──えっ?」
 幾度か声をかけてようやく我に返ったように、北川君は慌てて私の方を見た。何か考え事をしていて上の空だったのだろうと、私は苦笑する。こういうことは誰にだってあることだ。
「どうかしたの? ボーッとしてるから」
「ああ、いや……また唯のことか?と思ってさ」
 北川君はジュースのストローをかじりながら、私の方を見上げて苦笑するなりそう言ってくる。一瞬なんのことか分からなかったけど、しばらくして彼の言葉の意味を知って私は慌てた。
「あっ! ご、ごめんね……! いっつも北川君ばっかり頼りにしちゃって……唯君のことって……北川君にしか言えないし……」
 思えばさっきから、というかずっと前から私は北川君に対して唯君の話しかしていない。なにかあれば北川君に相談して、彼からしてみれば「また唯のことか」と呆れられても仕方のないことだった。そんな人の気持ちすら考えられない自分を情けなく思って、自然と頬が赤くなった。
 いつも嫌な顔一つせず相談に乗ってくれていた北川君に申し訳ない。
「……ごめんね……」
「いや、いいっていいって。俺周りからよく頼りないって言われてるから、藤森が少しでも俺のこと頼りにしてくれてるのなら嬉しいし」
 ニッと微笑んでそう言ってくれた彼を見ていたら、なんだかこっちまで安心して笑ってしまう。それは彼に対する甘えだと分かってはいるけど、彼からそう言われて救われる自分がいるのだ。
 なんと言っていいのか分からないけど、彼と一緒にいると気持ちが落ち着く。たぶん唯君のことで色々相談にのってもらえているからだろう。同じクラスになったのは今回が初めてで、話し出したのもここ最近。それなのにいつの間にか私にとって北川君は心を許せる数少ない相談相手になっていた。
「本当にごめんね、それで……謝ってる傍から訊きたいことがあるんだけど……。唯君の家って、どうして家政婦さん雇ってるの?」
「え?」
「『お父さんとお母さん共働きなの?』って唯君に訊いたんだけど、何も教えてくれなかったから」
 お父さんとお母さんのことを訊いても「関係ない」の一言で片づけられて、お母さん似だねと言ったら今度は彼の機嫌を損ねてしまった。一体何が彼の癇に障ったのかが分からない。なぜそんなに唯君は自分のことを話したがらないんだろう。話を聞いてほしいような、そんな雰囲気を彼は時折出しているのに。
 北川君ならなにか分かるんじゃないかと思い訊いてみると、彼は少し神妙な顔つきをしている。やっぱりなにか事情があったんだろうか。
「ああ、あいつの家さ……ちょっと事情があって、っていうか……」
「事情?」
「あいつのお母さん、唯が高1の時に亡くなってるんだ」
 それを聞いた瞬間、思わず北川君を見つめて「え?」と声を漏らしてしまった。
「……亡くなってる?」
「そ。元々身体が弱かったみたいで、病気らしい」
「そっか……」
 ああ、そうか……。だから何も教えてくれなかったんだ……。そう理解したと同時に、そんな事情を知らないとはいえ唯君に相当無神経なことを言ってしまったと私は後悔した。写真を机の上に飾るくらい両親のことが好きだったのなら、母親は死んでるなんて言いたくなかっただろう。
 じゃあ「お母さん似なんだね」って私が言った時に唯君が怒ったのは、お母さんのことを思い出したくなかったから?
「──にしてもさぁ、藤森もほんとに唯が好きなんだな」
「え?」
「だって、最近の藤森って唯のことばっかり。前は全然そんなことなかったのにさ」
 笑ってそう言う北川君を見ていたら、ふいに顔が熱を帯びていく自分に気付いた。自分から唯君に告白したとはいえど、周りからも私はそんな雰囲気を出しているように見えていたのかと恥ずかしくなってくる。
「や、あ、そ、そういう、わけじゃ……!」
 無いとは言えない。けど、本気で好きかと訊かれても困ってしまう。自分でもまだあまり理解出来ていない。あのとき唯君に言ったとおり、「好きかもしれない」という曖昧な感情だけが自分の中に放置されている。
 かなり慌てていた私を見て北川君はおかしそうに笑うから、尚更こっちが恥ずかしくなってきた。
「いや、いいんだけどさ。藤森がそうなら俺も出来る限りは協力するよ」
「あ……ありがとう……」
 北川君のその気遣いは少し複雑な心境をもたらしたけど、私はとりあえず彼にお礼を言った。唯君からはフラれてしまったのに、こんなにも彼のことばっかり気にしている自分は相当重症だ。前はこんなことなんてなかったのに、気になる人がいても、ここまで必死に考えたりはしなかった。
 本当に私は唯君のことが好きになった? 彼が辛そうだから、何を隠しているのか気になったから……それだけで、たったそれだけで昨日私はあんなことを言ってしまったの?
 一度「好き」と言ってしまったにも関わらず、私はまだ本当の自分の気持ちがよく分からないでいた。